イベント記録

日本生化学会大会シンポジウム 「研究評価と研究公正を考える」

講演

イントロダクション 田中智之(京都薬科大学)
要旨
ほとんどの研究者には、誰も知らないことを知りたいという好奇心や、治療法が見出されていない疾患に効果のある医薬品を開発したいといった動機がある。これらを追及する過程において、実験結果の改竄や捏造、あるいは盗用といった行為に及ぶことは、むしろ目標から遠ざかることになる。しかしながら、現実には研究不正の発覚が後を絶たないことからは、研究者がもつ動機を歪めてしまうような研究環境の要素が存在することが推察される。近年積極的に進められてきた基盤的研究費から競争的資金への移行は、短期間で成果をあげることや、広範な関心を惹くような研究課題を設定することを促しており、こうした枠組みの中で研究者個人がもつ動機を継続して追求することは難しい。また、研究環境の競争的な側面が強化されるに従い、研究評価では次第に数値評価が重視されるようになっている。Goodhartの法則とは、評価指標がハッキングされることで指標としての価値を失うことを指すが、再現性のない拙速な研究や研究不正が発生する要因のひとつとして、研究評価が一面的で操作されやすいことをあげることができる。研究室におけるハラスメントの問題は近年注目されるようになったが、独立した研究者に求められる研究室運営のノウハウや姿勢を学ぶ機会は少ない。

本シンポジウムでは、オーガナイザーらのグループがJST-RISTEXのプロジェクトとして実施したライフサイエンス領域の研究者を対象としたwebアンケートの解析結果を標葉隆馬氏から紹介するとともに、研究評価のあり方について優れた研究、提案を実施されている自然科学研究機構の小泉周氏、かつて日本分子生物学会理事長として研究公正推進に関わり、その後も研究環境の改善に向け幅広く活躍されている大隅典子氏を演者としてお招きする。また、本会理事の仁科博史氏、津本浩平氏を加えて、研究評価と研究公正をテーマにパネルディスカッションを行う。研究活動には高い専門性が伴うことから、ピアレビューは依然として研究評価の中で重要な位置を占める。信頼できる研究成果を送り出すことは、研究者の社会に対する責務のひとつである。ここでは評価をひとつの軸として、研究者ができることについて議論したい。

「公正な研究」についての話をしよう 大隅典子(東北大学)
日本学術会議は2013年に発出した声明「科学者の行動規範-改訂版-」1において、「科学者の享有する学問・研究の自由(「日本国憲法」第23条)は、社会から付託されているものであり、社会の信頼を前提として成り立つもの」と定義している。したがって、自由な研究を行う上で、その健全性や公正性、すなわち「研究インテグリティ」は何より重要な哲学だ。研究不正は種々の段階で生じうるが、もっとも発見されやすいものとして研究成果の発表時における「捏造・改竄・盗用」があり2、これは論文のディジタル化やインターネット化によって容易になったことは否めない。実は日本が「研究不正大国」であることが2020年10月のNews Week Japan誌の記事として掲載されている3。ノーベル賞受賞者発表のタイミングに合わせて発表されたこの記事によれば、撤回論文の動向監視サイト「Retraction Watch」における論文撤回数ランキングの第1位、3位、4位、6位が日本人研究者によって占められているとされ、国としての対応の遅れも厳しく指摘された。このような背景もあったのだろう、2021年4月の内閣府統合イノベーション戦略推進会議において、「研究活動の国際化、オープン化に伴う新たなリスクに対する研究インテグリティの確保に係る対応方針について」4という見解が打ち出された。翌2022年9月には、具体的な対応策について、1)研究者自身による適切な情報開示、2)大学・研究機関等のマネジメント強化、3)公的資金配分機関による申請時の確認などを研究的資金に関するガイドラインとして盛り込むこととされている。だが、行動規範やガイドラインがあるからといって、研究不正が無くなる訳ではない。最近では論文の査読プロセスにおける不健全な行為がメディアを賑わせ5、さらに直近では合成系AIの問題が浮上してきている。科学者が研究を行う自由を享受するために、今こそ研究公正についての話をしよう。

参考(web閲覧は2023年5月18日):
1) https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-s168-1.pdf
2)『責任ある研究のための発表倫理を考える』東北大学高度教養教育・学生支援機構編 東北大学出版会
3) https://www.newsweekjapan.jp/stories/technology/2020/10/post-94838.php
4) https://www8.cao.go.jp/cstp/kokusaiteki/integrity/integrity_housin.pdf
5) 毎日新聞web:https://mainichi.jp/articles/20230217/k00/00m/040/225000c
(他、一連の連載記事あり)

公正で健全な「研究評価」の在り方を考える 小泉周(自然科学研究機構)
「研究評価」という言葉はあまり好きな言葉ではない。日本においては、それが、「後付け」の「序列化」につながっていると考えられるからだろう。さらにそれが将来の「研究費獲得」などとつながっているとすれば、むしろ、研究評価によって、今それぞれの研究者が行っている研究の方向性はゆがめられ、研究者の自由な発想は萎縮し、研究のスケールが縮まり、研究の多様性は失われてしまうだろう。それは健全だとは到底言えない。そうならないために、「研究評価」はどうあるべきなのだろうか?
「研究評価」は、多様な価値観を反映された形で行わなければならない。分野による違いも大きく、各種ランキングのような一次元的な指標では、価値観の押し付けになってしまう。多様な価値観の反映は、研究評価の在り方において、必須だ。
また、「研究評価」は、定量的なものだけではなく、定性的な評価を組み合わせなければならない。もちろん、それはそうだ。しかし、その一方で、日本はむしろこれまで定量性がないエピソードベースの学閥的な定性的な評価をおこなってきた歴史がある。それが果たして健全だったのだろうか?
さらに、「研究評価」をresearch excellenceやsocial impactで評価するというのも間違いだ。Excellenceだけが研究の価値ではないし、social impactを持つものだけが優れた研究ではない。我々は、定量的評価において「量」「質」に加えて「厚み」の評価が重要であることを主張している。
「研究評価」は、研究者に対するpunishmentであってはならない。研究者の研究をencourageし、さらに飛躍するためのpositiveなfeedbackの過程となるべきだと考えている。
このように、「研究評価」は、公正で公平であることはもちろん、多様な価値観を包含する形で、定性的な評価を大切にしつつ、定量的な評価をどのように組み合わせるのかが重要である。「研究評価」を経ることによって、研究者の研究活動をencourageするものであってほしいと願っている。

研究公正と研究評価−質問紙調査からの示唆 ○標葉隆馬、西山久美子(大阪大学)
世界的な競争が激しさを増す中、研究公正と研究環境をめぐる相互関係は、科学技術政策においても重要な関心事となっている。例えばライフサイエンス分野では、社会的なインパクトのある深刻な不正事案も発生しており、深刻な課題として受け止められている。こうした状況に対して、国も各種の研究不正や研究公正に関するガイドラインの策定、教材の作成、情報発信、研究倫理研修の充実などの施策を実施している。しかしながら、現在においてはこれまでに蓄積された研究公正に関する知見をもとに、研究者の認識や姿勢に変化をもたらすような具体的な施策を実施することが求められている。このような背景と問題関心の下、本研究では、特にライフサイエンス領域を対象として、研究評価や日々の研究実践感覚に注目した意識調査を行った。調査はwebアンケートの形式で実施した。生命科学学会連合加盟学会に複数の学会からの協力の下、Web調査票の配布を行った。質問票では、(1)研究におけるデータ提供や保存、操作、論文執筆などの過程における意識や懸念についての属性・年齢等の層別における回答傾向の比較、(2)普段の知識生産に影響すると考える研究環境要因への回答パターン分類、(3)研究評価をめぐる意識と研究公正に関する意識の間の回答パターンの分類、(4)研究に対するモチベーションの多様性の可視化などを中心的な目的とし、数量化三類分析などの多変量解析などを行った。これらの分析を通じて、研究公正の認識における研究者間でどのような相違があるのか、研究者のモチベーションのどの部分がどのように損なわれているのかについて洞察を獲得し、より良い研究エコシステムのための提言を作成するための基礎的な情報の獲得を目指している。本発表ではその速報的なデータを報告する。

パネルディスカッション

大隅典子、小泉周、標葉隆馬、仁科博史(東京医科歯科大学)、津本浩平(東京大学)、小出隆規(早稲田大学)
進行:田中智之

田中:それでは、ただ今よりパネルディスカッションといたします。今回のウェブアンケートで皆様にご協力いただきまして、研究者には4つのタイプがある*1ということですが、それについて、本日の演者およびパネリストのみなさまがどのように受け止められたのか、あるいはそれらの人にどのように研究公正推進のメッセージを届けたらいいのかについてご意見をただきたいと思います。

仁科:東京医科歯科大学難治疾患研究所の仁科と申します。生化学会の理事としてお招きいただきました。研究不正は、私は究極的には教育の問題だと思っています。 大学院生に対する教育、それからPIに対する教育も必要と考えています。先ほどのアンケートについて言うと、やはり自発的に学習しても研究不正におよぶ集団もいるということなので、積極的に他者が教育する必要があるということですね。eラーニングをやって研究公正を学びなさいと言ってもうまくいかないことがあるので、強制的なものが必要であろうと思います。アンケートから外れますが、申し上げたいのは、評価の方法についてです。現在、生化学会で賞の選考委員長をさせていただいており、今日も午前中の発表(受賞者講演)を聞いて良い方を選んだことを確認して一安心したのですが、これ難しいのですね。サイテーションがとても重要だと一般にいいますが、例えば10年やっていた人の評価の時にはすごく効いてくるのですけれども、例えば30代でこの人が優秀かどうかという時に、 申請書には将来の引用数は反映されませんので、そこをどうするのか。例えば財団で審査するときに時間をおいて評価できるような業績がほとんどないという申請があった場合に、 専門家に個別に聞くと、「この論文の成果はまだ確立していないし、すごいことを主張しているのだけど、本当に事実かはわからない」という回答が返ってきたときに、その意見に基づいて授賞を見送るということは難しいです。しかし、その賞が採択となると、それが今度は実績になって、 次の評価に繋がることがあります。サイテーションは、研究歴を積んだ方に対しては有効だけども、そうじゃない場合もある。対象者によって評価の仕方が変わるので、評価する側はそこを意識して評価しないといけないということで、なかなか人を評価するのは難しいなということをいつも感じています。

大隅:クラスター1の方たちはピュアに研究のことだけ考えていたら幸せだなっていう方かもしれないのですが、そういう方には周辺の知識が不足しているので間違ったことをしてしまうのかもしれないとか、あるいは、クラスター2の方々はどうすれば1番賢く振る舞えば良いのかというところにプライオリティーがあるのだとしたら、その方にはどう対処したらいいのかといったことを考えました。今まで様々な組織が提供しているeラーニングやアプリですが、全体に、平均的にメッセージを届けようと思っても、実はそれは必ずしも有効ではないかもしれないと感じます。少し手はかかりますが、ワークショップ的に、どういう時にどういう行動をするのかを、相互に反応を確認できる場で、負荷をかけてやってみる、といったことが必要ではないかと考えました。

津本:東京大学工学系の津本です。生化学会の理事として参加しています。今回のアンケートの結果を見てものすごくショックだったことは、我々が研究評価や人事、プロジェクトの評価において何となく感じていたことが、今回のアンケートを通じて、数値化され、カテゴライズされたことでした。大学の運営側としてもそうですが、何となく感じていたことが如実に出ているということで、今回は研究不正の議論になるのだと思いますが、それだけではなくて、評価や、もっと言えば、研究者のあり方、これからどうしていけばいいのかというところまで議論が及ぶ、相当大きなことを包含する内容ではないかと思います。

小泉: 研究公正は1人1人の問題ではあるのですが、「混ぜると危険」なのかなと。クラスター2の方というのは、アグレッシブでもうとにかくガチガいければいいと。一方で、クラスター3はまあなんでもいいのだっていう、ふわっとした感じなので、クラスター2とクラスター3の人が混ざると、クラスター2がアグレッシブに、クラスター3に(不正行為を)やれと言うと、クラスター3はやってしまうのかなと。発覚すると、クラスター2は自分はやってないと言って逃げようとするかもしれない。そういうクラスター2の人とクラスター3の人が混ざった時、よりひどいことが起こるのではないか。そういう意味で、1人1人の問題もあるのだけど、研究チームとして考えなければいけないこともあります。

田中:最近はライフサイエンスでは、大きなチームでやるような研究がどんどん増えていますね。そこで、お互い干渉しないということになってしまうと、今おっしゃったような点でもリスキーなのかなと感じました。それでは、先ほど仁科先生に言及いただいたのですけど、研究評価の方に移りたいと思います。先ほどは、若手の評価の問題を取り上げていただきました。若手はサイテーションでは不利ですから、そういうときにどう評価するのか。また、若手の方が(自分が受けていると)考えている評価と、実際のシニアの先生の評価とはずれがあるのではないかということも感じます。その辺りについてご意見いただけたらと思います。

小出:先ほど仁科先生から若手の賞選考が難しいというお話をいただきましたけども、私も別の学会で選考委員長をやっておりましてやはり結構難しいと感じています。(領域のことを)よく知っている人ばかりだといいのですけど、知らない人が書類だけ見る場合が問題です。他の学会で評価をされていることがポジティブにはたらくことがあって、この人はどこそこの賞も取っているからというので、一人の研究者が同じ業績で次々と賞を取ってしまうケースがあります。そこはちょっと注意しないといけないと思っています。特に若手に対する評価に関しては、その学会の選考委員の独自の見識で、過去の受賞に引きずられるべきではないです。評価者側はもっと真剣に応募者の論文をしっかり読んだ上で与えないと、良くないことが再び起こるのだろうと感じています。

田中:数学や物理の分野だと、すごい天才がいて、その素晴らしさが周囲にもわかるのかもしれませんが、 ライフサイエンスの場合、若いうちからそれほど大きな差があるのかな、飛び抜けた人はいるのかなとか、そういうことも感じます。

大隅:文学だと1つの作品が応募作として選ばれて、それを評価する方たちがじっくり読んで、それぞれのその観点とか好みで決めていくわけですけど、ライフサイエンスの論文の場合には、単著ということはまずなくて、若手と指導者という二名というケースすら稀で、たくさんの人たちの共同作業で成り立っていますから、個人の評価はますます難しくなっていると思います。 では、申請書の書きぶりで評価できるかっていうと、これまたもっと難しくなってしまうのだろうと思います。ですから、これは代表作ですという論文を1本か2本、 自分の言葉でなるべく詳しく説明してもらうとか、手間はかかるのですが、数とか、スコアとか、そういったものにかかわらない選び方をするのがいいのかなと思いました。大学の中での、テニュアトラックや昇進とか、そういうところにも通じる話だと思います。そこに手間を惜しんではいけないのだろうと思います。諸外国での業績リストやCVを見ると、たくさん受賞記録が連ねられていたりするので、日本はむしろまだ賞を出してないかなと最近思っているところもあります。たくさん賞を出すのは 学会として不健全という意見もありますが。しかし、とにかく評価にかける手間について知ることは大切です。

津本:こうした議論をする時に、過去にどうしていたのかを考えることがあります。そうすると、昔は、目利きがいて、「その先生に聞いたらだいたい間違いないから」ということでした。生化学ではない分野で今でもそういう方法が適用されている分野もあって、評価の基準が明確なところは、大御所の先生が言ったらそうだなと思うわけです。ところが私たちの領域は、今も走りながら基準を作っているという傾向があるので、ある意味基準がない、これから基準を作らないといけないのかなと思います。これからの生産的な議論が、結果としてこの分野に良い影響を与えるような指標を生むのではないかと思います。

小泉:先ほど大隅先生が仰ったように、 丁寧に見ていくことはすごく重要だと思っています。私のスタンスとしては、博士人材とか、若手人材、特に先ほどご指摘があるように研究年数がそれほど経っていない人たちを、論文指標で評価することは絶対に反対です。国家レベルの博士人材の審査員をしたことがありますが、論文指標で測るっていうのは絶対にやってはいけないと思っています。それは博士の目をつむことにもなります。先ほど津本先生が仰ったように、昔は、大御所がいて我田引水もしないし、この人のいうことだったらそうだよねということもあったと思います。しかす今は分野も細分化されてきて、なかなか目利きというのも難しくなったのかも知れないと思います。

大隅:目利きの話なのですが、自分の分野から遠いと評価が甘くなりがちということがあって、それは本当に危険です。何か賞を取ると、また次の賞に繋がったりしてというようなことが結構あるので、全体を見渡して評価ができるような目利きの方がいればいいのですが、特に学際的な分野とか、あるいは融合した分野とか、そういったところの評価がとても難しいなと思います。

田中:テレビのコメンテーターでよくありますが、自分の専門ではないけどついつい意見を述べてしまうことは多いと思います。専門から外れることは結構怖いことということは、仰る通りだと思います。若手の話から入りましたので、標葉先生からもコメントお願いします。

標葉:まず、事実からいうと、日本学術会議の若手アカデミーでとった8000人規模のアンケート、あるいは今回もそうですけども、基本的に若手の人は、「やっぱり質だよね」とか「もう数じゃないよね」と言われても、その発言を信じられないという人が多いと感じさせる結果でした。結局、論文の数や引用数、 ハイインパクトかどうかなど、まあ思い込みと言われればそうなのかもしれませんが、でもそう思われるような評価が、今まで積み上がってきているということだと思います。メリトクラシー的な評価を強く感じているのは、より不安定な立場の方であるという傾向がありました。上の立場の研究者が個別に何を言おうと、評価に対する信頼関係みたいなのは、全体としてはもはや成り立ってないと思っています。よって、そこからスタートしないといけないので、例えば、生物科学学会連合や、生化学会が、DORA*2みたいな形で定量評価をやめていこうっていう動きが大学レベルも含めてどんどん広がること、10年、20年かかる気はしますけど、そうした変化が積み上がってこない限り、博士課程の大学院生、 ポスドク、あるいはテニュアトラックの人が、本当にそうだったのだな(数値だけを見ているわけではない)と思える状況はやってこないと思います。そうした前提から積み上げていかないと多分無理ではないかと思います。そういう意味では、現在、大学でDORAに署名しているところは基本的にないですね。自然科学研究機構が研究機関として入っているぐらいです。この事態はそもそも恥ずかしいことだと思わなければいけないのですが、アメリカを含む海外の大学は最近署名するようになっています。DORAへの署名もできていない状況で、研究評価は数値だけではないという話を信じて貰おうというのは無理だろうなと思います。その上で、中身を見てもらっているのだ、あるいはこういう抜擢もありうるのだという事例が積み上がらないと厳しい気がします。

大隅:DORAに署名するというのは、アメリカではトレンドになっているのですが、なぜそれに気付いたかというと、 論文の引用の仕方が従来の書誌情報の書式ではなくて、PubMed IDで書いてあるのですね。最初は、どうしてこんな分かりにくい方法をと思ったのですが、DORAの実践というのはそういうことなのですね。Natureに掲載されることは確かに研究者にとって嬉しいことだとは思うのですが、それに頼る文化を変えるための積み上げというのは、簡単ではないですが、一つひとつ進めていかなければいけないのだと思います。

標葉:PubMed IDで指定されたら、それを見に行かなければいけないから、そういう努力を査読側に要求している。これは多分今までより健全で、そうした積み重ねが必要なのではないかと思います。もう一点、同じサイテーション1つって言っても中身は随分違うということも取り上げたいです。イントロとかで適当になんかとりあえず入れときましたみたいなサイテーションでカウントされるのと、ものすごく影響を与えた形のサイテーションは、領域の研究者にとっては全然違う意味があるので、例えばこの論文はこれだけの影響を与えましたといった、むしろそれは定性的に評価すべき内容ですが、そうした議論にも至る話だと思います。最近あった事例で言うと、自分が日本語で書いた本はGoogle Scholarではゼロですけど、とある大学院生の博士論文の重要な部分で参考にしていただいていて、そこではさらに研究内容が新たな方向に展開されているということがありました。こういう話は多分大量にあるはずなのですよね。現状の数量評価ではこうした学術的貢献を取り込むことはできていないと思うので、そういう埋もれたものが絶対あるはずです。そういうものを認識できるシステム作りもしないといけないと思います。

田中:引用に関しては、ものすごく叩かれている論文とかはそのおかげで結構引用数が大きくて、皮肉な話です。小泉先生、引用のコンテキストを見る技術はあるのでしょうか。

小泉:今話題になった発想がタイムズハイヤーエデュケーションの大学ランキングの仕様で今回新たに導入されたもので、一つはFWCI*3を平均で評価するのではなく、75パーセンタイルで取り扱うことで問題が改善されています。もう一つは、サイテーションをGoogleのページランクと同じような発想で評価しています。Googleではどれだけ重要な人たちが特定のページに集まってきたかを加味してwebサイトの比重評価をしているわけですが、同様にどれだけ重要な研究者が引用しているかを加味して計算する方法を導入しています。その結果、日本の大学のランキングは上がったので、良かったと思っています。

小出:小泉先生のお話をうかがって思うことですが、そうした様々なメトリクスを使わないといけないというのは、結局情報が多すぎるのですよね。本来ならば、我々が全部論文を読んでそれを評価すればいいのだけど、対象となる論文がすごく多いです。昨今の報道では、中国は論文数がどんどん伸びて、日本だけが伸びてない、これはダメだっていう論調で言われているのですが、論文数はうるさくこだわらない方がいいのではないかなと思っています。例えば論文リストは50まで、それ以上はカウントしないという方法でやると、ものすごい数を出すというモチベーションはなくなると思います。日本では論文数はどんどん増やすのだという方針ですが、それは必ずしも正しいこととは思っていなくて、むしろ自分の代表作10だけ出してくださいよとやった方が健全かなと思います。

大隅:関連することとして、 大学によっても違うとは思いますが、日本はある時から学位論文の要件として国際誌に掲載されたことを要求するようになったことが、とにかく論文を出さなければいけないという姿勢に繋がったように思います。学位授与機構からあなたたちの大学は学位を出してもいいというお墨付きをいただいているわけですから、論文が査読されているかどうかに頼るのではなくて、教員が学位申請した大学院生の評価をすればいいはずです。ただ数だけ増えてあまりインパクトがない、社会を変えるのに役立たない論文はむしろ出さなくてもいいのかなという気はします。

津本:学問分野によっては、やっぱり数が重要なところがあるのですよね。私たちの分野はやはり質です。しかし、それらは両方基準になっていいと思います。例えば、量が少ないけどすごく美味しいフランス料理と、あの、すごい量が多いし、やっぱり美味しい中華料理とかそういう違いがあるわけです。そういうもの全部を含めて目利きなのですよね。小泉先生がお話になったような工夫した基準が出てくるとランキングも変化するし、いい評価チームを作ること自体が研究のテーマにもなるので、そうした方向を模索しないと解決策がないのかなと思います。特に生命科学はフロンティアなので、質、量という両方の基準をみんなが理解することがすごく大事かなと思います。

仁科:私はこの分野で量のことは気にしなくてもいいのかなと思っている理由は、例えば教授選考などでは、量のことはあまり気にせずに、質とか、それまでのその人の振る舞いとか、そういったことで大体決まるので、基本的には量は議論にならないのではないかなと思っています。だから、若い方は中長期的には量のことは考えなくてよいのかなと思っています。どのレベルの評価をするのか、うちの大学(東京医科歯科大学)は東京工業大学との統合で、新しい評価を模索しようということで、そのために今回の議論を参考にしようと思って来たということもあるのですが、現時点で本学は全員を年次評価しているのですね。そうすると、皆さんを公平に評価することの方が重要なので、インパクトファクターも使うし、学生の面倒をみていることとか、様々な項目が多数あって、それを全部、点数化して公表しています。一方、それが、研究者の評価として適切であるかどうかというところも議論になるので、研究活動が主要なミッションである部局では研究項目に比重を多くかけて評価をしています。その時には今回、批判のあったインパクトファクターも取り入れないと研究力が評価できないので、使っています。至近の評価か、10年後の評価か、そこによっても、大きく変わってくるのかなと。長ければ長いほど、質とかその人の実力が、評価されると思います。若手には10年間、しっかり研究できる体制を与えて安心して研究できるというインフラ整備を行うことが大切で、そのあたりは研究不正の発生や評価とも関わると思います。

小泉:私も論文は量で評価するのはもうやめるべきだと思っています。例えばQSという世界大学ランキングがありますが、今年から論文の量は指標としてなくなりました。THE (Times Higher Education)も論文の量についての重み付けはものすごく低い。論文の量で評価することは、ヨーロッパ全体でもやめようという方向で動いているので、もし生化学会が、特に若手研究者に対して、論文の量では評価しないとはっきり宣言すればものすごいインパクトがあると思っています。研究不正のいくつかは、例えばセルカン事件とかでは、論文の量を水増しするという不正を行っています。論文の量で評価しないという宣言をすることは、とても強く、また意味のあるメッセージだと思っています。

標葉:私もそうですが、基本的には論文を書くことが前提の議論になっています。その上で量はいらないという話は、とても真っ当です。しかし、論文を書くことが前提となると、学術活動が持つ様々な可能性を潰している話なのかもしれなくて、例えば、生命科学系の中でも 基盤になるような学術活動、例えば、データベースの更新、保守、運用、各種いろんなバイオバンクに関する地道なインフラ作りなど、それ自体としてはなかなか論文にならない活動があります。しかし、絶対に必要なものはたくさんありますよね。しかし、それはなぜ評価されないのか。現状の評価は論文前提だからですよね。ここでの議論も、その点は抜けているといわざるを得ないし、そうでないと安心してそういう活動はできないです。今日紹介したクラスター1の方々は、論文を書くことには興味がないかもしれないですが、研究基盤の保守や整備については関心が強いかもしれない。これらをどこまで真剣に評価に組み込めますかという話はやっぱりついて回るのかなとか。大隅先生がご紹介になったデータの学術誌とか、あるいはeLifeみたいな取り組みはすごく面白いですし、そうした先進事例は参考にしていくと良いと思います。

田中:ありがとうございます。たくさん話題が出ましたが、ここでいいアイデアが出てもどう実践するのかという問題があります。ひとり一人の研究者が意見を述べるだけではなかなか変化は起こりません。やはり大学や研究機関がリーダーシップを取って、うちの大学はこうするということを打ち出していただくことは大事だと思います。さらには、生化学会をはじめとする学協会が意見を表明することにも価値があるように思いました。貴重な講演をいただきました講師の先生、また生化学会からはお二人の理事にお出でいただき、様々なご意見をいただき御礼申し上げます。また、フロアにお出でいただきましたみなさまにも御礼申し上げます。ありがとうございました。

脚注
*1 JST-RISTEX調査研究「ライフサイエンスにおける誠実さの概念を共有するための指針の構築」で実施されたwebアンケートの結果報告を受けたもの。4つのクラスターが見出され、クラスター1は新たな発見を見出すことに強い関心があるグループ、クラスター2は現在の研究環境に適応したグループ、クラスター3は際だった特徴はなく同調しやすいグループ、クラスター4は科学者の行動規範に忠実なグループという特徴が見出された。
*2 研究評価に関するサンフランシスコ宣言(2012年)。ジャーナルインパクトファクターを研究の質をはかる代替指標として用いることの不適切さを指摘している。資金助成、人事といった場面で学術誌ベースの数量指標を使用しないことを求めている。日本生化学会は2015年に署名している。https://sfdora.org/read/read-the-declaration-japanese/
*3 Field-Weighted Citation Impact。被引用数指標のひとつ。世界平均を1として論文毎に算出される。分野、文献タイプによって標準化されており、分野間の偏りが補正されている。

クロージングリマーク 小出隆規